下内町の台湾饅頭
2026年 02月 02日

昭和63年発行の商業高校生徒会誌「遷喬」で台湾饅頭という菓子が戦前の酒田で大人気だったという大変興味深い話を読みました。商業学校だけでなく、酒田中学(のちの東高校)の生徒もよく買いにきていたとのことです。その本によると店の位置は本町の突き当りという言い方がされており、町名は書いていないのですが、戦前は内町交差点が現在のように真っ直ぐ中の口方面につながっておらず(真っ直ぐになったのは大火による道路拡幅による)、クランクのようになっていたことから、下内町の突き当りにあったようです。



「支那そば」はともかく「台湾饅頭」とは何なのか判然としなかったのですが、今回の記事でどんなものだったのか知ることができました。
昭和13年頃には営業をやめたようだとのことですが、父が酒中に入学したのは昭和14年なので、それ以降もほかの店で「台湾饅頭」と称するものが売られていたのかも知れません。
また戦争中は食糧事情が大変厳しかったという話はよく聞きますが、父が酒中を卒業したのは19年の3月なので、父の思い出話が正しいとすると米英とのいわゆる太平洋戦争が始まったころもしばらくは中学生が「支那そば」や「台湾饅頭」を食べる程度の余裕はあったことになります。
酒田あたりでは本当に食糧事情が逼迫してきたのがいつごろからなのかも興味のあるところです。
当時の状況を伝える貴重な情報をいただきありがとうございます。こういった食事に関する話は、活字に残らないもののため、実際にその当時を生きた人の証言を残すしかないことを実感しました。台湾饅頭はそのうまさから戦前の酒田市民にとって強い印象があったらしく、戦後40年を経過した時点でもその思い出を語る人が多かったようです。
少し気になったのですが、もし当時の味を想像するとしたら、今のどんな和菓子に一番近いと思われますか?
生徒会誌の画像を追加しましたので、イメージの参考になれば幸いです。私としては「あじまん」的なものなのかとも思っていますが、蒸して作るようなので、あんこの中華まんでしょうか。

