酒田駅前にあった不思議なもの
2026年 01月 08日


大正時代の駅前にあった「木製の鉄棒のようなもの」は、主に「馬繋ぎ(うまつなぎ)」(または「駒寄(こまよせ)」)であったと考えられます。
当時、駅までの移動手段として馬や馬車が一般的だったため、利用客が連れてきた馬を繋ぎ止めておくための設備が駅前に設置されていました。
主な特徴と用途
構造: 地面に垂直に立てた2本の支柱の間に、水平に1本または数本の横木を渡した形状で、現在の公園にある「鉄棒」に非常によく似ています。
用途: 手綱を横木に結びつけ、馬が逃げないように固定するために使用されました。
背景: 大正時代は鉄道網が急速に発展した一方で、駅から先の二次交通(自宅や商店までの移動)には依然として馬が使われていたため、主要な駅前には必ずと言っていいほど設置されていました。
へー、馬をつないでおくものだったんですね。それにしてもAIすごいですね。ありがとうございました。
大正時代における「WC」表記やトイレ事情は、現代のような「当たり前」ではなく、「最新の西洋文化」と「伝統的な和の暮らし」が混ざり合っていた非常に興味深い時期です。
当時の状況を整理して解説します。
1. 「WC」表記はあったのか?
結論から言うと、大正時代に「WC」という表記は存在していましたが、使われていたのは「ごく一部の最先端の場所」だけでした。
普及度: 一般家庭や街中では皆無に等しく、帝国ホテルなどの高級ホテル、官公庁の洋館、一部の華族の邸宅といった西洋建築の中でのみ、図面や案内表示として使われ始めました。
当時の認識: 大正時代の「WC(Water Closet)」は、文字通り「水洗式」であることを強調する言葉でした。当時の日本のトイレは99%が汲み取り式(ボットン便所)だったため、WCは**「水が流れる魔法のような最新設備」**を指す特別な記号だったのです。
2. 大正時代の一般的な呼び名
一般庶民の間では、アルファベット表記よりも以下のような日本語が主流でした。
御不浄(ごふじょう): 最も一般的で丁寧な言い方。
お手洗い: 現在も使われますが、当時は「文字通り手を洗う場所」を兼ねた控えめな表現として広まりつつありました。
便所: 非常に直接的な言い方として定着していました。
はばかり: 「人目をはばかる場所」という意味で、粋な表現として使われました。
3. 大正時代ならではの「トイレ文化」
この時代、日本のトイレは大きな転換点を迎えていました。
和洋折衷の始まり: 洋館が建てられる一方で、便器自体はまだ「和式(床に埋め込まれたタイプ)」が主流でした。ただし、大正時代には陶磁器メーカーの**東洋陶器(現在のTOTO)**が設立され、国産の腰掛け式(洋式)便器の製造が始まったばかりの黎明期です。
デザインの美しさ: 富裕層の間では、トイレの壁を美しいマジョリカタイルで飾ったり、染付(青い模様)が施された陶器の便器を使うなど、トイレを「鑑賞に堪える空間」にする文化がありました。
まとめ
大正時代の「WC」表記は、ハイカラ(西洋風)なエリート層だけが知っている最新のステータスシンボルのような存在でした。一般的に「WC」の文字が街中に溢れるようになるのは、それから数十年後の戦後・高度経済成長期まで待つことになります。
てっきり方言かと思っていましたが、大人になってから調べてみると、漢字で「閑所」と書き、「人気のない静かなところ」ということから転じてトイレを意味するようになったということで、結構趣きのある言葉であることを知りました。
水洗の普及にともなって排泄の場のイメージが一変すると、さまざまあった日本語の名称にとって代わって「トイレ」という言葉が一般的になっていったわけですね。
絵葉書に表記されている英語やローマ字は外国人向けのもので、絵葉書を製作していた東京などの業者が付け加えていたもののようです。その証拠に地名の読み(具体例として「三居」→Mii、「新井田川」→Araita)が明らかに間違っているものなどがあります。
