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酒田館

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以前に下内匠町にあった酒田劇場の画像を紹介しましたが、その前身である酒田館の絵葉書を紹介します。この写真は平成9年にコミュニティしんぶん社から発行された佐藤三郎氏の「酒田よもやま話」下巻の表紙に使われた画像です。その時は初めて見る画像であったため、個人所蔵の生写真かと思っていましたが、絵葉書であることが判明しました。
この写真の撮影時期については絵葉書の仕様から推測して、大正期であることは間違いないと思うのですが、酒田館が常設館として運営されるようになったのは大正13年7月3日のことで、山形の宮崎合名社により松竹作品を上映するようになった際です。それ以前は貸劇場として時折利用される程度だったことが新聞広告から分かっています。この写真には上映作品名がないため、時期を特定できないのが残念ですが、「活動大写真」という言い方は大正期であろうと思われます。半纏には「三河楼」というきいたことがない店の名前がみられるほか、「鶴田興行部」とかいてある半纏も見えます。
酒田館は佐藤吉兵衛の縄の倉庫であった建物を鶴田三郎という東京吉原出身の興行師が借りてオープンしたものの、3か月で使わなくなったらしい(昭和27年11月14日付け「出羽新報」より)のですが、この画像に写る「三河楼」ですが、ネット検索すると吉原に「三河楼」という店があったことが判明したので、やはり鶴田三郎による当初のオープン時の様子ではないかと推測されます。その時期については、大正7年の地図にはあること、こけら落としで上映された作品が沢村四郎五郎主演の「柳生旅日記」(大正4年作品)であったとの戦後の新聞記事があることから、大正5年か6年頃のことと考えられますが、当時の新聞がほとんど現存していないので、はっきりとはわかりません。
背景の建物は左右対称の洋館造りで、「SAKATAKAN」とあり、小幡の洋館に「OBATA」とあったように日本人の横文字好きがこの頃既に存在していたことがわかります。また、この時代の下内匠町には樹木があったことがわかります。
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大正7年の地図
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大正13年7月1日の広告。「館の内外は善美を極めたる大改繕を施し涼味溢れ」とあるので、絵葉書画像に写る建物がこれを指しているのかもしれません。
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大正7年9月24日。これより古い酒田館に関する記事は見つかっていません。

by sakata1964 | 2022-01-02 06:35 | 映画 | Trackback | Comments(0)

酒田における昔の出来事について紹介します。歴史の闇に埋もれ、人々の記憶から忘れ去られた事実にスポットライトを当てることにより、過去が現在とつながっており、現在の酒田も過去の上に形成されたものであることや過去の記録や資料を未来に確実に残すことの意義を認識してもらえたら幸いです。


by sakata1964