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日和山下ビアホール

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大正6年8月5日

現在の出町のマンションあたりにあったと思われるビアホールですが、正確な位置はいまもって不明です。確認されている最古の広告は明治41年のもので、酒田新聞に掲載されている広告は大正12年6月のものが最後ですので、15年間は営業していたものと思います。経営者は大内清蔵という人で、この人物は震災前は船場町で船宿を営んでいたことがわかっています。
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明治33年の広告。ビアホール以外にいろんな事業を行っていたようです。
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日和山公園の改修工事を伝える大正5年9月27日の記事に「ビヤホール裏道路」という表現がみられます。
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大正11年8月3日の水害の記事にもビヤホールが出てきます
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大正7年10月13日
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明治41年11月



by sakata1964 | 2021-12-26 18:24 | Trackback | Comments(0)

酒田における昔の出来事について紹介します。歴史の闇に埋もれ、人々の記憶から忘れ去られた事実にスポットライトを当てることにより、過去が現在とつながっており、現在の酒田も過去の上に形成されたものであることや過去の記録や資料を未来に確実に残すことの意義を認識してもらえたら幸いです。


by sakata1964