琢成第一尋常小学校の「郷土よみもの」から「犬が引き出す「エンヤラヤ」」
2020年 01月 26日
昭和8年5月発行「酒田市勢要覧」掲載の駅前通り。写真左に写る二階に3つの窓が並ぶ建物は現在、韓国料理の店として残っている建物です。
今回紹介するのは琢成第一小学校の「郷土よみもの」から「犬が引き出す「エンヤラヤ」」という文章です。
酒田駅に降り立つ誰しもが、きっと目を引かれる珍風景の一つに、犬が荷を引くという変わった情景がある。白、黒、赤、ぶち、毛並みもとりどりそれでいて、どいつもこいつも太くたくましいむく犬がさも重そうな大荷車の前びきをしながら、いとも従順にひき子の励ます掛け声につれて、渾身の勇をふるいつつ、終日、営々として立ち働いている光景である。
しかも、それは一組、二組に限るのではなく、来る引き子も往く丁持ちも、みな申しわせたようにこの「よき助手」むく犬をひきつれているのには誰しもちょっと奇異の感を抱かせられる。
引いている荷物は言うまでもなく、酒田駅へ到着するところの諸貨物で、注文主である市内各商店の店先に運ばれ、いずれは市内ないしは付近近在の需要に向けられる商品なのである。時には反対に、市内の主なる商店から、市外各地へ発送される品物で、店先から駅へと送りこまれるものだこともある。
これら貨物の送り迎えに働かされるむく犬の中には、樺太あたりの遠隔の地方からわざわざ数十金を投じて仕入れられることもあるということから、あれ等の丁持ち連中にとってはよほどの重要さを持ったむく犬であるらしい。
こうした大金を投じたものだからというわけでもあるまいが、彼ら主従間の情愛はまことにこまやかなもので、往きには主従ともども重い荷物にありったけの力を出し合って助けつ、助けられつつエンヤラヤッと荷を運ぶのであるが、荷主の店先に積荷をおろして、やっとひとまず空車になると、きっとその主人は可憐なこの助手をいたわって、自分のひいて帰る空車の上に助手のワン公を乗せ、往きの苦労をねぎらう。乗せられたワン公は得意気に主人がひく車の上におさまりかえって、おもむろに次の労働に対する英気を養う。
こうして一日中幾往復かの力仕事を終えて、主従ともに疲れ切った体を家路に運ぶのはいつも街燈きらめく夕刻になるのであるが、この時刻になると商売道具の大荷車は駅近い運送店付近に立てかけて、いよいよから身となったひき子主従の幾組かが、三々五々帰途につくところを見ていると、心得顔のワン公が、各自分の主人の空弁当を口にくわえてヂャランヂャランさせながら綱とる主人の先に立って小走りしている姿をよく見かける。ことのほかいぢらしいものである。
あんなに太くたくましいむく犬、しかも丁持連の中には一匹ならず二匹も、三匹も持っているのを見かけるから、あれ等を一々飼って養う段になったら、それ相当の経費を要することでもあろう。そこを考えると丁持ちの犬というが必ずしも娯楽や物好きから出たこととは思われない。何十人からものあの丁持連中がほとんど例外なしにこの犬を引き連れているのだから、何らかこの間にはよほど重大な理由がひそんでいるらしく思われてならない。
人の力と犬の力とでは果たしてどんな比になるのかちょっと分明でないが男一人で引く力よりはさらに畜力をこれに加えるのであるから、力を増大する利のあることは誰しもうなづけることである。したがって人間一人がするよりも、多量の荷を運べるわけだし、同じ荷がさを運ぶとしても、速力を増すこともできるわけだ。
多く積み込むことも、速く運ぶことも、直接その日の労賃に響くことだから、あの丁持達のひとしくこれは望ましいことに相違ない。これがああして例外なしに犬を連れてる理由の一つであることも確からしい。
ところで、ここにもう一つのしかも、もっと根本的な理由というのが、考えられるようである。どだい、酒田の広がる市街地には海妟寺前や鍛冶町、櫻小路等に見るかなり急な坂道、それに祖父山下、上の山、下の山、台町、日和山等の地名の存在がよく表示しているように、随分と高低、起伏のある自然の地形が認められる。で、ことに自転車を馳せて市内を一巡するとき、日ごろ一向気にもとめなかったところにも起伏ある微地形が明瞭に感ぜられる。むしろその進行が容易でないくらいである。
この高地あり、低地あり、急坂ありの市内を西から東、東から西と重荷をひいては、幾回となく往復する人達にとっては、案外楽なところもあるには相違ないが、楽は苦の種のたとえにもれず、とても一人の力では、いかに力んでみても上り切れないほどの坂道に遭遇することも一際にとどまるまい。
こんなときには同情ある往来の人の救いを求めるかして、何とか難関を切り抜けるのであるが、しかし、そういつもいつも他人の情けをあてにして仕事をするわけにもいかない。
そんな場合だけ臨にチョイチョイ人を雇うなんてことも、そう注文通りにうまくいくはずもない。この不便に備えるためにはいきおい、常にそばをはなれぬ忠実な助手をあらかじめひき具して歩かねばならない。 その助手もわざわざ一人前の人間をこれに充てるでは、あまりもったいなさすぎる。せっかくの労賃もそれでは半減することになるから不経済も甚だしい。人間ほどは費用もかからず、それでいて、力があって万一の役に立ちしかも従順で、簡易で・・・といろいろ考えてきたとき、そこに初めて個々の条件に適合した「犬」というのが出てきたものであろうと思われる。
連中のうちの誰かが使用し始めたこの方法が、とてもよい思い付きであったために、ひとりでに現在のように普及してしまって、ちょうどお稲荷さんのそばの狐のように丁持のそばには犬がつきものとなったのであろう。
平坦な土地に立地していた酒田であったら、これが格別のよい思い付きでもなかったろうし、こうまで普及もしなかったことと思う。一人ひとりが各精一杯働いて余分な犬にまでその飼育費を削除されないほうが結局利潤の多いはずなのに、凸凹に富んだ酒田市内の地形は到底それを許さず、貨物の運搬を日々の業とする人達に各幾頭かずつの犬を養うことを余儀なくさせたということにあるのである。